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先入観なしに音楽を聴くこと

それは不可能だと思います。現代音楽系の人にカンチガイしている人が物凄く多いみたいですけど。そんな耳、先天性の発達障害の持ち主しか持ってないっての。発達に伴って鼓膜の振動から有効音と無効音をフィルタリングする機能を神経系統が獲得する訳だけど、それを決定するのは鼓膜を叩くもとのエネルギーを伝播する物質である空気の物性だもん。空気の物性は住んでいる環境で決定されるもので、だから住んでいる場所が違えば耳は異なるフィルタリング特性を獲得し、結果として音楽に対する先入観を産む。現代音楽の人って、どんな環境条件でも空気は同じ振る舞いをするという前提で議論を始めるんだけど小学校の理科からやり直せよ。


空気が環境によって異なる振る舞いをするからって音楽に何の関係があるんだという話をする現代音楽系の人もいるわけだけども、音楽ってのはそもそも音だし音っていうのは空気の振動だし波だし、さらに波長があって個々の音色はそれぞれ異なる周波数成分を持っている。これらがすべて相関を持ち、同じ波形を楽器が発しても人間の耳に届くときは、環境によって全く異なる波形になっているわけだ、従って叩かれる鼓膜から発せられる神経パルスも異なるパルスになる。従って環境が違うのに「同じ音なら同じ音として聞こえる」なんてパープーなことが起きる訳ないだろ。

で、発達によって獲得するフィルタリング特性が環境によって異なってしまう最大の理由は人間が音声によって情報の遣り取りをする生き物だからだ。人間は主として音声と視覚情報で情報の転達を行う特性を持った生物として進化した。これは「文化」とかじゃなくて、人間という生き物の特徴だ。アフリカの奥地に行ったからといって音声で情報のやり取りをしていない部族がいるわけでも、アマゾンの奥地の人食い人種には文字がないからといって身振り手振りもしないということは絶対にない。逆に、嗅覚はほとんど情報の伝達には用いられない。泣かせる匂いの香水(生物学的反射という意味ではなくて感情を喚起せしめた結果として)というものはない。触感もないし温度でもそれはない。焼肉の炭の温度で決算報告する民族というものはない。で、音楽の話なので視覚情報の話はさておく。

人間は単独で生活せず集団で生活し、情報のやりとりを音声を使って行う。最初の人類が発生し、増え、各地に散っていった過程で、言語に差異が生じるようになった。なぜかと言うと、上に上げたように「同じ音」でも環境が異なれば「違う音」になってしまうからだ。単純に言うなら子音は緯度の高い低湿度な環境中では遠くでも良く聞き取れるが低緯度帯に多い高湿度環境下ではあっという間に減衰して聞こえなくなってしまう。なぜかと言うと高周波と高周波成分は水蒸気を多く含んだ大気中では水蒸気を振動させるのにエネルギーの大部分を使い熱に変換されて途中で消滅してしまうからだ。ノコギリ波は途中でどんどん歯が丸まって坊主になっていく。そういう高湿度環境下では母音でなければ情報を効率良く伝達できないから、言語に用いられる音声情報は母音主体となり子音は捨てられる。チャタリングノイズと言う奴だ。一方で、低湿度環境下では子音は遠くまでよく届くし、減衰さえしなければ多くの情報を載せることができるので非常にエネルギー効率が良く、当然のごとく採用される。こういう世界では子音はチャタリングノイズと見なされない。

さて、今「遠くでも」と書いた。では近くならどうか。ここで脳の音声フィルターの形成の話が出てくる。高湿度環境下において、距離が遠ければ減衰し意味をなさない子音であるが近くではそのままダイレクトに鼓膜を叩く。これはどのように扱われるかというと、湿度の高い環境下で母音主体の言語で成長した人間はこれを「無効音」として「聞こえないふり」をするように振り分けるようにフィルターを発達させる。逆の場合は「有効音」とみなす。発達過程でこの処理ができなかった子供はよくある耳を塞ぎ続けて手を離させると絶叫してまた耳をふさぐ自閉症児のようになる。個々の音が分別できなかったらこの世は轟音地獄だからだ。しかし、私たちは幸いにして音を分別できるし有効音と無効音の区別も脳が勝手にやってくれるので「音を聞き取る」ことができる。音が聞き取れれば聞き分けることもできるわけだが、ここが問題。そう、聞き分ける前に聞き取る過程が入るので、実は人間は楽音の全てを認知もしていないし認識もしていないのだ。フィルタリングの結果、無効音は「環境音」として空間や状況を把握するのに使われてしまい「意味を持った音」として認知されない。意味を持った音は「有効音」と判定された音からしか構築されないのだ。ちなみに有効音であり意味を持った音であるのに、ただの環境ノイズのように聞こえるという現象を「ゲシュタルト崩壊」という。ゲシュタルト崩壊を視覚だけの事象ととらえている人もいると思うのだけど、人間は音声でも情報伝達を行う生き物なので当然音声でもゲシュタルト崩壊は起きる。

この有効音と無効音を決定づけるのが環境下における空気の物性と、そこを伝搬する際の音波の振る舞いである。で、ここまでわかると、管弦楽法の強化しに書いてある楽器の「構造と発音原理、その発生と歴史」がやっと理解出来るようになる。これがわからないのに「音楽理論」とかを学ぶから現代音楽の一部の人は音楽に対してとんでもなくプリミティブな希望をいだいていたりする。聴衆を一万人集めていろいろの音楽を聞かせたらどんな音楽が良いとされるか、とか、それ聴衆が同じ環境下で成長した人間であれば同じ有効音を聞き取る耳しか持ってないんだから、結果として有効音を多く含んだ楽曲からしか「情動を喚起」せしめるための情報が得られないんだから「ものすごく偏った結果」が出てくるだけだろ。同じテストソースを世界各地で行ったらその土地々々の「有効音」を多く含んだ楽曲に指示が集まるというだけのことだ。つまり「無効音」を多く含んだ楽曲は、その土地の聴衆にとっては「最初からゲシュタルト崩壊を起こしたような音楽」でしかなく、従って聞き取れずそもそも理解もできない。

音楽はいつ生まれたか。それは楽器発生以後だ。楽器はいつ生まれたか。それは言語発生以後だ。言語は人間という発音器が発する意味情報であるが、人間の発する音声の最大音量というものはあまりにも貧弱で訓練された一部の人間(オペラ歌手とか)でなければ100m離れた先に相手に正確に言語情報を伝えるということはできない。楽器の発生しなかった文化ではこの「でかい声」もしくは「複数の人間が音を一声に出す」文化が発達した。しかし、それでは遠距離で情報の遣り取りをするにに困るので人間はいろいろと工夫した。それで楽器の原型となる「音を鳴らす道具」が生まれ、ある一定の音声パターンにある一定の意味を括りつけて、その音を鳴らすことで「意味の伝達」ができるようにした。ほら貝とか。

視覚情報と異なり「視界を遮った状態」でも情報が伝達できるこの「音声で情報を送る」手法は世界各地で発達していった。ちなみに、視覚情報がなぜ視界を遮ると情報が途絶するかと言うとそれは、波長が短いから回折が起こりづらくいので回り込みで電磁波が届くということがあまりないからだ。音は波長が長いので回折現象が起こるため、隙間があれば波が伝わりそれが鼓膜を叩く。だから遠くまで届くだけではなく、例えば塹壕の中に兵力を分散させている状態で、相互の連絡が途絶していても突撃ラッパ一発で一斉に出撃させることもできた。


世界各地でいろいろな楽器があるが、その成り立ちは環境下における空気の物性と、それが鳴らされる実際の土地の風土に左右された。アルプスなら斜面を隔てた2者は指向性の強いホーン楽器を使って眼下の羊たちの情報のやりとりをした。アルペンホルンだ。城塞都市では高い塔に上ったラッパ手が城下に向けて一斉に布告を告げるラッパを吹いた。これがフリューゲルホルンの先祖。中国大陸ではホーン楽器を発達させる代わりにノコギリ波主体の弦楽器発達した。これは森の中ではホーン楽器の音は木に反射して遠くまで届かないからだ。一方で、そのノコギリ波は高温多湿の日本では有効ではなく、アタック音主体の撥弦楽器としてして発展した。三味線だ。ちなみに胡弓は正倉院で眠っていた。さらに湿度が高くなると弦をはじくという手法ではエネルギーが足りず、代わりに木の札を並べてこれをマレットで叩くという手法が発生した。ガムランだ。さらにこれが低緯度多湿帯でしかも鬱蒼と茂るジャングルということになると、高周波成分を含むほぼすべての楽器が無効化するために、アフリカではトーキングドラムによる情報伝達という文化を発生させることになった。大太鼓の低音は回折によってこの間をすり抜け、全く減衰する事なく数キロ先まで届いた。この音を聞いて驚いたのが宣教師たちで「おどろおどろしい呪いの太鼓が自分たちを囲んでいる」と思った。モスラ参照としかw


文字情報が人間の情動を喚起せしむるように(ケータイ小説とかw)、音声情報もまた人間の情動を喚起せしむることに人間は気づいた。これが音楽の始まり。「言語はすなわち既にそれで音楽である」と言ったのは誰だか忘れたけど、んなこたあ、楽器と音楽の成り立ちを知っている小学生程度の理科知識を持っている社会人なら誰でもわかることだ。特別なことじゃなく。共通の土台は鼓膜を叩く空気の振動による情報伝達プロトコルであるからだ。音楽理論という概念があるが、あれはローカライズされた音声プロトコルの文法という程度の意味しかない。異なるプロトコルの環境では全く通用しない。基礎となる空気の物性も周辺環境も異なるんだからあたりまえだ。なのに一部の(ry


ポリフォニーとモノフォニーも「自然倍音を使って音声エネルギーを大きくする手法が有効かそうでないか」で分化したに過ぎず、単音でも有効な音声エネルギーが得られる文化圏ではそんなもの発達しないっての。必要ないんだから。そういうモノフォニー文化圏を「プリミティブ」とかいうお前、お前の脳みその方がよっぽどプリミティブだよ。


なんでこんなことを長々と書いたか。それは、自分には良さがわからない音楽が沢山あると言う事。そして、このblogのおすすめ音楽というのは「普遍的に良い音楽」とかではなく「自分にわかるような気がして」「なおかつ自分がオモシロイと思う」音楽であるということ。そして「それはどんな音楽なんだ」ということをよりわかってもらった方が、おすすめでつける☆の意味をよりきちんとわkってもらえるんじゃないかという、そういう部分があるわけで。


じゃあなぜ人間には「よいとされる音楽なのに自分にはわからない音楽」ができてしまうのかというと、発達過程の中で「音楽への先入観」が形成されるからではないか、という考え方があって、その根源にあるものは、ということでこのつまらない長文を書いたという。

本題の「音楽に対する先入観」はなぜ生まれるか、についてはもっと長くなるのでまたいづれかに。。。。。意味ない支離滅裂な長文で申し訳ない。