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行く先不明のlinux blog

音程のない文化圏の住人による西洋音階的歌曲の歌唱例

ナチュラルに恋して/道重さゆみ

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「歌の不自由な」歌手、道重さゆみ。ルックス的には5期6期の中でも飛び抜けていたが、なんせ歌唱力というものが「存在しない」としか言い様のないスペックの持ち主故にここまで後列メンに甘んじてきた。

ハロプロというのは、申し訳ないけど10期でももクロと同じ程度の歌唱力がある。そういう集団だ。

が、ドリムス結成に伴うモーニング娘。再編の波に乗って、我らの道重さゆみ先生がフロントマンになる日がやって参りましたよ!相方はハロプロ屈指の歌唱力の持ち主、田中れいな


で、自分の歌唱力について道重先生から今年爆弾発言が。。。

なぜ音楽の成績が悪かったかというと、当時「歌に音程があることを知らなかった」から。授業では1人ずつ歌を発表しなければならないが、「歌は歌詞を読めばいいだけだと思っていた」道重さんはみんなが歌を練習している中、何を覚えたらいいのかわからなかったというのだ。

グリーングリーン」を例にとり、最初の「グリーン」までは歌えるのだが、その後の音がわからなくなり「グリーン 青空には小鳥が歌い」以降は音読になってしまう。自分では「これ歌ってないな」という感覚はあり、教室が悪い空気になっているのも気付いているのだが、音程の取り方がわからないのでどうすることもできなかったと話した。

音程というのは西洋音楽の概念であって、少なくとも日本の音楽の概念ではない。東洋の音楽にもない概念だ。日本に音程という概念が渡来するのはルネッサンス期になってからで「六段の調べ」などが当時の代表的な「西洋音楽理論の最先端で書かれた邦楽」である。それ以前の邦楽というものには「抑揚」はあっても「音程」はない。雅楽で笙などが演奏されているのを聞いた時、リズムもメロディもなく抑揚しかない事に驚く人も多いと思うが、あれが(それでもルネサンスキ以降の作品なので相当ウェスタナイズサれているわけだが)日本の音楽の基本的ん「旋律」である。もっと身近なもので言えば、声明であるとか、あるいは「お経」などがそれに当たる。それらの「譜面」を見るおわかるのだが、五線符を基本とした西洋音楽とは全く異なる記譜法に寄る譜面であり、そこに「音程」なり「音階」なりが入り込む余地が無いことがわかる。そもそも「音階」がないのだからそれを起表する手段は(必要性がないから)発達しないし、音階がない世界にはそもそも音程は存在しない。音に(自分の声より)高い低いという概念がないのだから、線を引いてそこから上は高い音、下はは低い音、するような「文化」は発達しないわけである。西洋音楽グレゴリオ聖歌以降急速にポリフォニックに発達した理由を五線譜の発明に求める説があるが、自分にはむしろ五線譜の発明は「音程」の発達に決定的な影響を与えたように思えてならない。


さて、そこでこの「この世に音程というものが存在するということを知らなかった」「歌というのは歌詞を音読すれば良いものだと思っていた」と語る彼女の出身地は山口県山口県には未だに日本古来の「邦楽」に基づいた音楽の概念が息づく文化圏が存在するということを、今回の「告白」は私たちのしえてくれたような気がする。


それさえわかれば、この難曲「ナチュラルに恋して」をよりによって生演奏、生歌で披露した道重先生の心意気もわかろうというものじゃないだろうか。


結論


音痴とか言うなw



生きていたガラパゴス、現代のシーラカンス唱法、それがこの道重唱法だ!っていうか、もっとやさしい歌選べよ!Perfumeだって生で歌えないぞこの曲(たぶん)

My Days for You/道重さゆみ

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まのちゃんって歌うまいよなぁ。。。