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行く先不明のパソコンblog

ポストPerfumeとポストハロプロ

ポストハロプロはメジャー各社が競い合ってPerfumeという勝者を生んだ。ポストPerfumeに注目していたがメジャーからは現れなかった。今、ポストPerfumeを競っているのは小規模な制作体制を持ったマイナーなレーベルとインディーズのいずれかに限られている。プレアイドル的な手法で上手く潜り込んできたAKB48はポストハロプロを目指す姿勢を鮮明にしつつある。


ただ、PerfumeとAKB、目指すところは同じポストハロプロであるが、目指した時期の違いがそのままスタイルの違いとなって現れた。Perfumeが目指した時期のハロプロは地方出身者の素人ユニットがが国民的ヒット作を生み出していく物語の渦中にあったが、AKBが目指した時期のハロプロアキバ系ヲタク以外の全ての支持を事実上失いつつある止まらない下降線の渦中にあった。にもかかわらず、この段階のハロプロに目を付けその支持層を丸どりしようとした秋元康の戦略は全く理解出来ないのだが、パトロンからマネーが引っ張れれば何でもよかったのだろうと考えれば納得が行く。秋元にはその時点のハロプロがなんであるか分かっても、パトロンのイメージする世界ではハロプロはその時点でおいてさえなお国民的アイドルだったのだろう。

AKBがポストPerfumeを目指さなかったのが不思議とか書いているのではない。秋元が企画を書いてファンドを募った時点ではまだPerfumeは海の物とも山の物ともつかない段階だった。しかし、AKBの翌年にACのCMに起用され、人気に火がついた時点でAKBを即席Perfumeフォロワーにする事など秋元からすれば造作もない事だったのではないだろうか。にもかかわらず、AKBはポストハロプロ路線を突っ走った。



AKBの事はどうでもいい。問題はなぜポストPerfumeを目指す勢力はマイナー系団体にしか存在しないのか、と言う問題だ。メジャー各社はポストハロプロと思しきアキバ系アイドルなる「虚構」で資金を集めるのに汲々としており、ポストPerfumeにまで手が回らないのだろうか。あるいはPerfume自身がぶち当たった「体制的反対」がメジャー各社においてはより厳しく、Perfumecapsuleのような楽曲でシングル一枚リリースする事さえ許されないのだろうか。Perfumeがブレイクした今日に至っても。結局、Perfumeのような楽曲が麻布や青山、六本木で評価される日は永久に来ないと言うことなのかもしれない。


しかし。希望は全く異なる方向から現れた。