14話「永遠に枯れない花」
リリーは部屋から出てこなくなった。シルベチカは自分が面倒を見ているから大丈夫という。同じようにファルスの看病に没頭する紫蘭もめったにクランの中に顔を出さなくなった。
ある日、生徒がファルスの部屋から出てきた紫蘭を目撃する。紫蘭はまるで10も20も老けこんでしまったように見えた。髪にも白いものが混じり、背も縮んでしまったように見える。
「それより驚いたのはすれ違いざまに紫蘭が会釈してきたことよ!あの紫蘭がよ?」
紫蘭はすっかり弱々しい妙齢の婦人のようになってしまったと話す女生徒たち。その話を隣のテーブルで聞いているマリーゴールドとカトレア。
「ファルスさんは紫蘭さんと付き合ってらしたんですか?」「あの2人が?まさか!」「でも熱心に看病されてるんでしょう?」「そこがおかしいのよね。ファルスが倒れるまでそんな素振り見せたこともなかったのに」
おふたりはどういう関係なんでしょう?とマリーゴールド。ただの監督生仲間のはずよ。紫蘭のほうが年長で、よくファルスのことをからかってたわ。でも、それくらいよ。男子寮と女子寮は離れているし、親しく付き合うなんてこともなかったと思う。
「密かに想いを寄せていたとかそう言うやつですかね」「それもどうだろう」
「興味ありませんかこういうの」マリーゴールドがいたずらっぽく笑う。
シルベチカの部屋の中には花なんか咲いていないというキャメリア。スノウは皮肉っぽく「あなたがそのことは一番良く知っているということね」と言う。僕はお館様にシルベチカとのことをお赦しいただく伺い書きを出すつもりだ。コソコソとするつもりはない。そもそも君だって昔
「あの人の事を言うのはやめて」その怒りの表情。キャメリアは済まなかったよと言う。悪気はなかったんだという。君たち、本当は今頃、どこか別の土地で幸せに暮らしていたはずだったとファルスから聞いて。いいからもうやめてとスノウ。
苦しむファルスの傍らで必死に汗を拭いてやっている紫蘭。その背後にスノウ。スノウはシルベチカは犯人ではないような気がするという、紫蘭は済まないがもうそんなことに興味はないという。
「私の愛する者達はみな私を置いて先に死んでいく。いったい私に何の罪があったのだろうね」
答えられないスノウ。ドアがノックされる。ナスターシャムが「あのマリーゴールドとかいう女がどうしても話がしたいって」と伝言を伝える。私は行かないよ。振り向きもしない紫蘭。ナスターシャムに案内されて出て行くスノウ。だが、入れ違いに入ってくるマリーゴールド。
「こうでもしないと入れてもらえないと思いまして」「こそ泥みたいな女だねお前は」「なにかお役に立てることはないかと思いまして」「ないね。出ておいき」マリーゴールドを冷たくあしらう紫蘭。その向こうにやせ衰えたファルスの姿。「お悪いん、ですね」静かに言うマリーゴールド。紫蘭はマリーゴールドを無視して背を向ける。
「紫蘭さん、ファルスさんと、話がしたく、ありませんか?」マリーゴールドが切り出した。
ファルスの病室。紫蘭、スノウ、マリーゴールド、そしてカトレア。
「モルヒネです」「そんなに量はありませんが一時的に苦痛を和らげることが出来ます」「ただし、病気を治すことは出来ません」「それだけは承知しておいてください」
スノウはマリーゴールドにファルスに注射させることは反対だと言ったが、紫蘭はこれ以上ファルスの苦しむ姿を見てはいられない、ほんの一瞬でも安らぎを与えてやれるならと言い、最後はスノウにすがりつくようにしてまで頼み込んだ。スノウは苦々しげに首を縦に振った。そのやり取りを見るマリーゴールド。
マリーゴールドがモルヒネを打つとまもなくファルスの表情が和らぎ、そしてうっすらと目を開けた。ぼうっとした表情で目の前の人々の顔を眺めるファルス。未だ夢のなかにいるような視線。
ファルスは朦朧とした表情で、夢の続きのつもりで紫蘭たちに話しかける。紫蘭に彼の体力を消耗させないよう、うまく話を合わせるように、と助言するマリーゴールド。
ファルスはぼんやりと紫蘭とスノウに感謝の言葉を述べ始めた。
「今までありがとう。母さんもリリーも」
「違う、私は」と言おうとするスノウにそのまま応じてくださいというマリーゴールド。
ファルスは「子どもたちは?」と聞く。学校に行ってるわと答えるスノウ。そうか、そんな時間なのかというファルス。仲良くやってるかい?とたずねるファルスに、ええ、ふたりとも元気よ、と言うスノウ。
唐突に「そういえばスーパーボウルはどうなった?」と聞くファルス。意味がわからず答えに詰まるスノウ。
「スティーラーズです」
即答するマリーゴールド。滿足げな表情を浮かべるファルス「医局で賭けをしたんだ。今年も必ずスティーラーズだってね」「でも接戦でしたよ?」「スコアは?」「21 - 17」
口笛を吹くファルス。目を閉じて雨の音を聞く「雨の音を聞くといつもクランにいた頃のことを思い出すんだ」
静かに雨音を聞いているファルス。その横顔をじっと見つめる紫蘭。震えている。
「母さん、父さんってどんな人だったんですか?」ファルスは呟いた。
答えない紫蘭。
「どうしていつも黙ってしまうんですか」
マリーゴールドがなにか言ってあげてくださいと促す「作り話で構いません。どうせ忘れてしまいます」
紫蘭は言葉を選びながら語りはじめた。
「とても優しい人だったよ。でも、恋はできなかった」「そもそも私がお前を産んですぐ、亡くなってしまったからね」「研究にしか興味のない人だった」「花だよ」「あの人は植物学者だった」「永遠に枯れない花を作りたい。いつもそう話してたっけね」「父さんが亡くなった時にね、ソフィ、永遠に枯れない花を作ってくれって、そう言ったそうだよ」「お前は父さんに愛されていなかったと思っているのかもしれないけど、父さんはお前のことを愛していたよ」「残念だけど、私は愛されていなかった」「それでもあの人と一緒にいた時間は幸せな時間だった」「ソフィ、私たちはお前のことを愛しているよ。いつまでもいつまでもね」
いつの間にかファルスはまた眠ってしまっていた。静かにファルスの毛布をかけ直す紫蘭。カトレアはマリーゴールドが紫蘭の背中を冷たく見つめていることに気づく。スノウはその視線に気づかない。
中庭。噴水のそばで泣きながらファルスの汚れた衣類を洗っている紫蘭。その背後に立つマリーゴールド。いやぁ、母親というのはなかなかいいものですね、というマリーゴールド。お前にも親くらいいるんだろうという紫蘭。
「いましたけどね。昔。でももういない。とっくに」「死んでしまいました」
「ところで、およそ3000年ほど前にダンピールの村がひとつ、村ごと消えてしまった「ネヴラ村事件」をご存知ですか?」答えない紫蘭。
ネヴラ村事件の顛末を語るマリーゴールド。「そういったわけで永遠に枯れない花は生まれることもなく消えてしまい」「TRUMPの血にまつわる研究もそこで途絶えた」
「ところでさっきあなたはファルスさんのことをソフィ、と呼びましたね?アレはどういうことですか」「ソフィという名は、永遠に枯れない花を作っていたTRUMPの協力者、クラナッハ・アンダーソン博士の一人息子の名前です」「ソフィ・アンダーソンの母親は報告では研究所の火災に巻き込まれて死んだとされますが、発見された死体は性別の区別もつかないほど焼け焦げており」「あるいは生存の可能性も、と、報告書は結んでいます」
「本部はTRUMPの行方を追っています」「そして、永遠に枯れない花も」「アンダーソン博士の研究資料の行方もね」「さて、紫蘭さん、さっきファルスさんの母親の役を演じるとき、あなたはなぜ彼をソフィと呼んだんです?」
「クラナッハは博士じゃない」「は?」「学会を追放された時に、博士号も失われた」
「そうでしたか」「さすがお詳しい」「あなたのことを」「ずっと探してたんです。ミス・ハリエット」
振り向き様、銃を抜く紫蘭。同様に銃を構えているマリーゴールド。
遠くで銃声の乾いた音が聞こえる。
「秘密の花が綻び始めた」そうつぶやくシルベチカ。部屋中に花が溢れている。
クランの終わりが始まろうとしていた。