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行く先不明のlinux blog

名曲よりも名演が求められる現代

某2ちゃんの書き込みで

「どんなジャンルも成熟すると名曲のラインナップが充実するので、新曲が求められなくなる反面、名演が求められるようになる」

という趣旨の書き込みがあり、なるほど、と思った。


名演はライブやらない限り産まれないので、シングルは出す一方ライブの本数を枯渇させたPerfumeとシングルが売れようが売れまいがライブをやり続けることに固執した戦国時代系アイドルに大きな差がつけたものは、そういう「時代の大きな流れ」なのかもしれない。


Perfumeの場合「TVからは名演は産まれない」事を理解出来ないスタッフ(世代が古い)に囲まれてしまったことが大きいのだと思う。一方でプロレスをたく(しかもインディーズ勃興期のノンTVプロレス)がマネージメントを仕切るももクロスマイレージ、そして、K-POPブームを築くまでにひたすら現場で苦労を重ねたS竹ディレクター率いる(東方神起がヒットするまではK-POPがTV露出するなどありえなかった)東京女子流が、ノンTVプロモーションから名演を連発し、知名度を上げていくサマが実に対称的なものに写る。


日本のロックがロキノンの手によって産業ロック化され、J-POP(リズム歌謡/バンド演歌)に収斂していくさまはまさにこの「名演」から「名曲」への重心移動であり、その結果、「名曲」が飽和し「名演」が枯渇、待望されるに至った2010年代の今日、逆コースまっしぐらに「シングル」志向、「ライブ」放棄の方向性へ向かうPerfumeスタッフはナニ考えてんだかサッパリわからん。まぁ、一過性でコンテンツの繰り返し利用を念頭に置いていない放送媒体に未だに注力するスタッフである限り、そこから「名演」が生まれる>新たな商業的チャンスが生まれる、なんてこたぁ金輪際ないわな。