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テクノポップとはなんであったか

J-POP=邦楽とするならテクノ邦楽。J-POP=歌謡曲とするならテクノ歌謡Perfumeのいうテクノポップは後者の意味だろう。一方、YMOは前者。

単なるテクノと邦楽は異なるし、テクノが「歌謡」曲ではないことも明らかなので、テクノポップが「内国産音楽」を示す単語であることは明らかだろう。邦楽ないし歌謡曲というのがテクノポップの正体だった。


Perfumeは初期においてテクノポップの名刺を持って世に出たが、これが邦楽であったのか歌謡曲であったのかは微妙なところだと思う。アイドルである以上歌謡曲であるべきところを中田ヤスタカは敢えて邦楽を作りヒットを生んだ。これを無理やり歌謡曲方向にねじ曲げて失速させたのが2008年以降の路線、と言えるのではないだろうか。


謡曲というのは、とどのつまり「自分に都合のよい物語を与えてくれる存在」(昨日のエントリ参照)であって、ちょっと考えれば「アホか!」「そんなもん言われんでもエエんじゃ!」(広島県 西脇綾香さん)というような内容であって、少なくとも大学生より上の年齢層はそのアホアホしさ故に聴かない音楽である。


昭和三十年代のように、基本的に日本人の労働者はみんな中卒、高卒大卒はエリート、というような人口比であれば「都合のイイ甘い言葉」で客を騙すのは容易かもしれないが、無駄に高学歴社会となってしまったこの20年の変化により、そういう音楽を求めるのは、たとえば型枠工さんとか、左官屋さんとか、とび職とか、キャバ嬢とか、ホストとか、かなり特殊な職業に若くして就く層に限定されるようになってしまった。今日のJ-POPの主要マーケットがレコード店や通販ではなく「買取」のパチンコ店であるというのはそれを端的に示している。


これは結果としてそうなったのではなくて、「買取」の方が返品されなくて楽だし、そもそも金払いのいい上客であったから、営業政策的に「そっち」に売れる商材に注力しただけのことであって、商売としてあながち間違ってはいない。しかし「それだけ」に注力することで、一般層が加速度的にJ-POPから離れていったこと、結果としてパチンコ屋以外の販売ルートが疲弊して「音楽不況」を招いてしまったのは誤算だったのではないかと思う。

アメリカのレコード店がウォールマートに負けたように、日本の小売店はパチンコ屋に負けたのである。実際のところ。

完全買取システムは、返品分として天引きしているアーチスト印税の20%を丸取りできるという意味でもレコ社に魅力的なシステムであった。その結果、特約店(返品する権利を持つ)は冷遇され、潰されていく運命にあった。が、再販制をなくしたところで特約店が生き残れるわけではないことは上にも書いたので、いずれにせよ小規模小売店は消え行く運命にあったのだ。

なんといっても、J-POPバブル以降、特にゼロ年代以降、注文しても美味しい新譜をまったく卸してもらえなくなったのが致命的だった<小規模小売店 それほど返品可能性の高い特約店は邪魔な存在だった。結果として上部構造としての卸を含めて共倒れになったのが金沢のヤマチクのケースだった。この傾向は今後一層加速するだろう。