ただのメモなので読まなくていいです。
メモ
CCレモンホール海戦で、第一機動部隊からの増援要請を却下し続けるハロプロ本部。同じ機動部隊編成のももクロを前衛に立てたSKEの大艦隊を相手に、駆逐艦一隻さえ随伴しない第一機動部隊がCCレモンホール防衛に成功するか否かは博打に近いものがあった。できうるなら直護に戦艦、巡洋艦、さもなくばエッグ部隊の駆逐艦を送って欲しいという要求は全て握りつぶされた。勝ちを確信するSKEからは「2回ともトリをSKEに」という事実上の降伏勧告が飛び込む。
CCレモンホールはスマイレージにとってホームであり、事実上の主催であった。そこでの対バンでトリを外部のユニットに明け渡すというのは「負け」を認めるのと同義であり、それは事実上、ハロプロがAKBに屈したことを意味する。絶対に負けられない戦いであったが、増援は0。機動部隊とはいえ、たった4隻で敵の大艦隊を引き受けられるのか。。。
海戦初日、奇襲攻撃でももクロ、SKEの攻撃を退けた第一機動部隊に対して、一隻だけなら第一艦隊から戦艦を派遣できるという連絡が入る。ただし、戦闘には参加させない。互いの手の内が明らかになった海戦2日目に奇襲は成立しない。正面からの打撃戦を予想していた第一機動部隊首脳は狂喜した。。。
翌日、艦隊による総攻撃でスマイレージ艦隊を撃滅しようとしていたももクローSKE艦隊司令部の顔が歪んだ。そこにいる筈のないハロプロの主力戦艦が関係者席に陣取っていたからだ。その戦艦の名は「道重」。
「道重」が戦場に殴りこんでくるのかどうか、敵陣営の判断は混乱した。疑心暗鬼に陥ったももクロは護衛の駆逐艦部隊を空母に貼りつけたまま、爆撃機による散発的な水平爆撃だけの攻撃に終始した。戦艦との砲撃戦を想定しないまま戦闘に突入したSKE艦隊は身動きが取れず、第一機動部隊を射程圏に入れることすらできず、不気味に沈黙し続ける「道重」の影に怯えたまま無駄弾を打ち続けた。
第一機動部隊は前日と全く同じセットリストでももクローSKE艦隊に有効打を与え続けた。途中、関係者席の道重を紹介し、後手に回ったSKEを混乱の頂点に追い込むなど(「道重」の戦闘行動は2日間のうち実質的にここだけ。だかここだけで充分な価値があった)参謀、福田花音の作戦も冴え渡った。
2日間の戦闘を終え、CCレモンホール制圧を試みたSKEはその目的を達せず名古屋に向けて引き返した。スマイレージは自分たちのホームを守りぬき、戦略的にはAKB陣営によるNHK放送センター制圧作戦(AKBによるPerfume掃討戦)を頓挫に追い込んだ。戦史的には機動部隊の有効性が実証され、第一機動部隊はその年のレコード大賞新人賞を受賞するほどの絶賛を受けることとなった。世界は改めてハロープロジェクトの名を知った。
なんで今更こんなモノ書いたかというと、この「増援要請を蹴った司令部」が一隻だけ救援に送ってきたのが戦艦「道重」だったということ。これが、現在のモベキマス体制の原点になっているような気がする。誰もスマイレージを助けに行ってもろともに敗走したくないし、そもそも救援を送るという事自体「ピンチという認識がある」=「ハロプロ無敵説を自ら否定する」事になるためできないという無意味なジレンマ。ハロプロだから勝つに決まっている、負けてもそれは「スマイレージだから負けたということ」でハロプロ無敵せつに傷はつかないという愚かな考え方。それこそが和田ー福田ラインが否定する思想そのものだった。むしろ「だからこそ」和田ー福田の部隊には補給も増援もしないというのが当時の司令部の結論だったのかも知れないが、そこにあえて「だったら私が行きます」と手を上げて救援に向かったのが道重さゆみだったというのは今考えるとあまりに深い出来事だったと思ってしまう。