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行く先不明のパソコンblog

さらにドームのこと

アーチストと観客の関係は信頼したりしなかったり裏切ったり裏切られたりの繰り返し ドームはPerfumeの夢の頂点と見るか単なる通過点と見るか。


Perfumeは「観客を信じて」ドームのコンテンツを作ったのに、結果として大部分チルアウト状態だったのは「観客に裏切られた」という見方もあると思うんだ。けれどそこを「みんなに謝りたいとずっと思っていた」と内省的に捉えて告白したのが生放送教室の顛末なのかな、と。


結局、あのコンテンツで観客がチルアウトだろうなというのは作ってる側は全員わかってた。でも基本TVショーのための企画だしDVD用コンテンツ素材だし、それをあえて妨げるような「従来型のライブ」が出来ないこともわかっていた。Perfumeは花道の中間で横一列になって踊ればそれぞれの内外野の客の近くでも踊れることが明白なセットを作ったのに、カメラで一発で入らないような、あるいは撮影用のライトがきれいに当たらないようなそういう「分散した」ステージングをすることが出来なかった。カメラの台数にも照明の数にも限りがあって、そこからおのずとステージングは制約され「出来ないこと」がやたらと増え、結果としてセンターステージの中央に密集した状態で踊るという、ドームの広さをまったく考慮しない設定にならざるを得なかった。音響にしても同様で、あんな貧弱なアレイスピーカーでドーム全体に音を鳴らせるわけがない。空気の物性(粘性)は容積のに比例して重たくなり「大きな音の出るPA」ではなくて「トルクのあるSP装置」でなければ流体である空気自体の抵抗に押されて音を鳴らすことが困難になる。アレイ型SPは指向性を利用して小さなエネルギーで効率よく強く音を届けることが出来る装置だが、ドームのような円形劇場型ステージでは今回のようなバックボードに吊るすタイプのSPを申し訳程度に吊るしたところで限られた範囲の観客席にしか音が届くわけがない。中央密集で四方に向けてアレイ型SPをどーんとタワー状に組むか、スタンド席にSPを埋め込んで360°全周囲型音響システムにして鳴らすかしければ音なんか聞こえるわけがない(ディレイ問題はDSPで解決するしかないがリハが必要)。音が聞こえないから客はノレないし、そもそもPerfumeが見えないのだからなにをやっていいのかわからない状態の3時間だった。それは作ってる側の中心にいる3人が一番よくわかっていたことだろう。


のっちは「そういう風に思っていてもそういう態度を公にするのはお客様に対して失礼だしよくない」と思っている派。昔からそういうお行儀のよいお嬢様だった。もちろんリアルに天然に問題点がわかっていないことも多いw

西脇さんは「そういうことがあるならきちんと言わなければよくない」「お行儀のよさこそが敵だ」という態度の人。が、昨年のトライアングル事件を契機に、少し変わってきた気がする。しっかりした芯が出来た代わりに鎧を着るようになった。

ksykは以前から人前で感情が昂ぶって自分の弱さを曝け出すことがあったが、一方で、パフォーマンスそのものは「全体」で作るものであって個人の意思なりが帰結するものではないのであえて何も言わない、というスタンスを取っていた。ほとんどの場合、西脇さんが真情を吐露したときに黙っているのはksykだった。


ksykがほとんどはじめて、Perfumeを代表するかのような立場から、ドーム公演のついての真情を吐露したのは、ひとつの成長だったと思う。あれだけ盛り上がっていない5万人の大観衆を目の当たりにして、しれっとしていられるような感性の持ち主ではないことは当然のことだが、今回、自分の殻を破ってはじめて自分たちのパフォーマンスの至らなさについて自己言及したのは、成長の証なんじゃないかと思う。

西脇さんが慟哭して言葉を失ったksykに「(言って)いいんだよ」とやさしく促した(一方でのっちは何も言わなかった)ところにPerfumeの東京ドームの真骨頂があり、総決算の意義があったと思う。


生放送教室。なかなかいやらしい企画であるなぁw