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行く先不明のlinux blog

音楽で表現できるものは何か

伊福部昭によるとそれは「音楽」だけだそうだ。それ以外のものは表現できないと断言している。音楽で表現できるものは音楽だけ。

音楽を聞いて楽しいだの明るいだのいうのは全て後付け。感情とそこで鳴る音というものが関連付けされて、音が鳴ると感情がひも付きで出てくるという仕組み。従って「泣かせたい」時には既存曲は使えないと伊福部昭。なぜなら泣かせたい時に鳴っている曲のタグが「お笑い」になっている人も必ずいるはずで、効用音楽などで特定の感情を喚起させようとするときに既存の楽曲を流用するということは(効果達成度を考えたときに)大変レベルの低い行為なんだそうだ。これは2001年宇宙の旅のサントラについて聞かれた時の答え。

さて、J-POPはなんであそこまで無味乾燥なのかと考えたとき、散文的な感情である「好き」だの「本当の自分」だのを喚起させるために、歌詞が重視されるためではないかと思った。曲それ自体で何らかの感情を喚起されるくらいなら「曲は歌詞を邪魔しない方がいい」=「ニュートラルな、何の情動も喚起できないような無味乾燥な音の羅列の方がいい」という方法論ではないかと。


音楽を音楽として聞いてしまうとそういう無味乾燥な音の羅列はただひたすら苦痛だが、歌詞に書いてあることしか頭に入って来ない層にとっては「邪魔にならない」音のほうが都合が良いのかもしれない。その曲のメロを聴いて特定の感情を「聞いたあとから」喚起されることはもちろんあることだし、これこそ当にタグ付けの最たる物だとは思うけど、結局そういう曲というのは「その時の自分の感情や思い出」を引き出すための「懐メロ」にしかならないんじゃないか、と、思ってしまう。

僕には懐メロはない。300年前の曲なんか記憶がない。けれど最新の曲と同じくらい感動できる。音楽なんてただかっこよければただそれでいいんだ。感情のタグ付けなんて糞食らえだ。