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行く先不明の競馬blog

分厚い本

セブンネットに分厚い本が出てきたので初日に注文。取りに行くのを忘れていてやっと昨日入手できた。

あまりこういうことは書きたくないけど、犯人の人物像がどうにも薄っぺらい。グランギニョル以降、顕著にそういう傾向にあるのだけど、登場人物には内心の葛藤が無くなってしまった。最初のTRUMPとかクラウスが葛藤の果てに狂ってしまう流れと言うのを時間内でじっくりかけて描くのだけど、本書に納められた人物は「最初からそういう人」でそのまま終わる。

人物の行動がなぜそういう結末に至るかを芝居で描くことは放棄されいて、そこがなんとも物足りなかった。

「なんでお前そんな人間になっちまったんだ」という問いかけに対する演技者の対応が「セリフによる説明」というのはあまりに切ない。そりゃは舞台劇じゃなくてアニメだ。アニメで舞台劇と同じことをすれば作業コストが膨大にかかるからやらないのだけど、舞台劇でアニメと同じことをやっても「伝わらない」と思うのだがどうなんだろう。

「なんでお前そんな人間になっちまったんだ」という問いには、(あくまで一般論だが)永遠に答えが返ってこないのではないだろうか。永遠に帰ってこない答えへの感情を登場人物のみならず観客にも共有させることで芝居というものは「伝わる」のであって、そこをセリフで言ったところで「人物は自分に都合のいい嘘をついているのかもしれない」し、だからそれは伝わらない。

クラウスがおかしくなってしまった理由はクラウス自身が何も言わなくったって「伝わる」じゃないか。一方でクラウスがべらべらしゃべらないから(ガバンリはしゃべるがあれはギリギリしゃべりすぎ)登場人物から見るとクラウスは「キチガイ」に見えるという構造は素晴らしかった。クラウスはおかしいが、おかしくなったワケはわかるから、観客はクラウスに感情移入できる。正直、ドナテルロもグスタフもアンジェリコもディエゴも「なぜ」を問われて、そこまで1㎜も出していなかった「事情」をべらべらと話し出し、それについては「そういう事で納得してくれ」で脚本は投げるから、受け手は「唐突にそんなこと言われても」「じゃあここまでの流れは何だったのさ」で終わる。


そこ芝居で見せてくれよ。というのは言ってはいけないことなのだろうか。