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ミュージカル・マリーゴールド

と、いうわけで、ネタバレ上等な時期になったのでマリーゴールドの感想を書く。と、いってもほとんどついったーに書いたので、書いていないことを書く。

今回の話は、マリーゴールドマリーゴールドになったエピソードである。マリーゴールドは元はガーベラと言う名前で、ファルスの招きでクランに入るにあたってガーベラ(希望)の名を捨てて自らマリーゴールド(絶望)と名乗ることを決める。

ええ話や。ただ、初日と公録日を見ているだけだが、脚本は相当とっ散らかっている。あちこちに視点が移動するが、どれも解決しない。筋は単純なのだからマリーゴールドマリーゴールドと名乗るところできちんとまとまるように全部の要素が同じ方向を向いていればそれでよいと思ってしまうのだが、なぜかそうはならない。お話を複雑化しようとして、登場人物のベクトルがあちこちに向いているまま収束しない感じ。

一つには、この物語の主人公は3人いて、一人はガーベラ(マリーゴールド)、一人はアナベル(母親)、そしてソフィ(ファルス)なのだが、この3人が向いている方向がばらばらだという事ではないかと思う。

アナベルヘンルーダと言う医者と結ばれてガーベラを産むが、ガーベラがダンピールだったためにヘンルーダと別れなければならず、娘を屋敷に閉じ込めて一人で立てこもっている。ガーベラは母親によって社会から隔離されてしまったために精神的な発達がおかしくなっているうえに繭期が来てさらにおかしくなってほとんど野生化している。ソフィは疑似クランを血盟議会黙認の上で運営しているが、アナベルの書いたヴァンプ社会を描く小説が「詳細すぎる」ことから危惧を抱きアナベルを殺害する意図をもって街にやってくる。

この3人、その方向性において実はなんの関係もない。

アナベルがガーベラを隔離したのは「ヘンルーダの秘密」を守るためで、ガーベラを守ることはどうでもいい。愛しているとは口で言うが、ヘンルーダがガーベラを愛しているほどには愛していない。極論すればガーベラが死ぬのを「待っている」 それを露骨に出せばヘンルーダに去られてしまうのは明白だからガーベラを手元に置いてはいるが、ソフィたちがガーベラに出会ったとき、明らかにガーベラはネグレトされた子供で、それを見たソフィは屋敷からガーベラを連れ出そうと考える。そこはなんとなく理解できる。

ガーベラはと言うと、社会を知らず、愛を知らず、野生児のような状態で、繭期になって人間の血を求め、ソフィたちと街に出たはいいが、佐々木守小松左京の「危険な誘拐」ばりに吸血種としての本性をむき出しにして暴れまわる始末。ソフィを見て「寂しそうな眼をしてる」といい「わたしには母さんだけいればいい」というが、なんせネグレトされて正常な発達をしていないのでどこまで本心なのかよくわからない。ガーベラの精神状態は「奇跡の人」の「ヲーター」以前の状態に終始していて、かわいそうには思うけど、物語を通じてそこに変化もなければ成長もない。最後も別に何か心に変化が生じて行動したわけではないので、正直、主人公には見えない。

ソフィはアナベルが間もなく疑似クランにたどり着き、その結果、疑似クランの存在が白日の下にさらされることを嫌っている、はずだったのだが、その動機は回収されることがない。ガーベラをクランに誘ったソフィはガーベラが精神的にアナベルに依存していることを知り、ガーベラにアナベルを殺害させることを考える。結果は「アナベル殺害」でも、動機が途中ですり替わるのだ。その動機は血盟警察のベンジャミンに引き継がれるように見えるのだが、なぜかベンジャミンはガーベラがダンピールであることにこだわり、アナベル監視そっちのけでガーベラを殺そうと頑張る。ソフィたちの初期の目的である「アナベルがヴァンプ社歌に詳しすぎる」ことはどうでも良くなってしまう。所期の目的が回収もされずに放置されたまま物語が終わるので、ソフィたちに関しては非常に座りが悪いままだ。途中で「それはどうでもいい」ことになるなら別だが、そういう芝居もなく目的が消失するのは問題だと思う。

そういうベクトルの噛み合わない3人が織りなすドタバタが2時間半続くので、見ていて「支離滅裂」という文字が何度も頭の中に浮かんだ。最後に(ウルは立ち会っているが)この3人が一堂に会して芝居があって物語が終わるのだから、そこでベクトルを合わせればいいのに、脚本はどうもそういう事には興味がないようで、はっきりってアナベルは死に損、ガーベラは母親の行動を誤解したまま、ソフィは暗黒の親子関係からガーベラを救い出したのに観客からは「極悪人」に見えるという、

そういう終わり方でいいのか?

という結末を迎える。収録日は初日よりまとまっていたが、初日は本当に散らかっていた。

前作グランギニョルと比較した時に、前作が明らかに能力者バトルモノの2.5D作品になっているのに対して、今回はぐっと初期作品寄りの「抑えた」ドラマ重視の舞台になっているのはいいと思ったが、逆に、それがソフィがひたすら相手に噛みつく芝居のオンパレードと言う単調な展開に陥る原因になっているのは皮肉なことだと思った。これはソフィを「不老不死以外にはイニシアチブを奪うくらいしかできることがない能力者」として再定義したうえで、芝居終盤でソフィ無双状態を作らなければならないために生まれた苦肉の策だということは理解できるのだが、そもそもこれ能力者バトルものなのか?

TRUMPのラストとLILIUM全編に漂うソフィの焦燥感と言うのは「ソフィは何もできない繭期の少年のまま不老不死にされてしまった」から生まれたもので、そもそもソフィはクラウスやリリーのようなイニシアチブの怪物ではない。今回の舞台でもバッドトリップに襲われたソフィが妄想の中に現れた紫蘭と竜胆にその無力さをあざ笑われて悶絶するという描写があったが、ソフィは無力だからこそ苦しんでいる、というのは守らなければいけない一線ではないのかという感想を抱いてしまうのだ。

アナベルとガーベラの関係も、ヘンルーダコリウス(とんちゃんが好演!)の関係も、どうにも煮え切らないし、出版社は明らかに要らないコマだし、ついでに言うとこの脚本の扱いだったらベンジャミンたちも不要だった。だってソフィと目的が被りすぎてる。それだったらいらないよねこれ。


そういう意味で「すごくいい舞台だったんだけど脚本は無茶苦茶だった」という感想はもうどうしようもないと思う。


問題点ばかり書いていても仕方ないので良かったっところを書くと
・星の轍 いくら何でも反則過ぎる。卑怯だ。2回見て2回とも泣いた。涙がボロボロ出てくる。ソフィかわいそう。
・ウル かっこいい。ソフィの頼りになる相棒。わがままでおこちゃまなソフィによく従ってる。ウルの「芝居」をやめた後、自分がやっていたのがウルごっこだったこと(ソフィから格下扱いされてること)を自覚してもなおソフィについているのがいい。LILIUMのキャメリアがこのクールでニヒルな素顔を一瞬だけ見せているシーンがあるのだが、それとキャラクターが完全一致で整合性がとれていて素晴らしかった。ソフィも「歌ってくれ」のくだりに見られるようにウルことキャメリアに頼ってるのがバディものとして実にかっこいい。ウルごっこをしているときのウルは馬鹿っぽいw
コリウス いい人。ダンピールなんか愛せるか?とソフィに言ってしまうなど失策も多いが、この物語の中で一番の常識人。ヘンルーダの告白を受けて彼を殴り飛ばすところとか本当に熱い。ただ、3人で幸せに暮らせ、というのは「ガーベラは短命のまま殺せ」になるのでそこはどうかと思った。あと、ヴァンプに関する資料を「情報屋から買った」と言うのはグランギニョルの尻尾っぽくてよくないと思った。単純に古書を集めてとかの方が作品世界のリアリズムにあってると思う。
紫蘭 そのまんまだった。ファルスを内心馬鹿にし切ってるところも含めてほんとうにLILIUMの紫蘭そのままで笑ったw
・竜胆 別人になっていた。パンフの小説の竜胆なのかもしれない。あれじゃ悪魔の双子だw
・シルベチカ 相変わらず謎の女だった。謎は「リコリス」で解き明かされる前提なのかもしれないが、気持ちいいくらい何も説明する気がないのがすがすがしかったw
・その他クラン生 ヘンルーダの歌の中でイメージ的に出てくるが、花言葉の中で自分に都合のいいことを言っては去る感じw スノウの本名がスノウフレークからスノウドロップになっていた。さすがに「あなたの死を願う」とは言わなかったw

逆に気になったところは
ヘンルーダ 大楽で最後のセリフが「愛さずにはいられなかった」から「愛することしかできなかった」に変えられたというヘンルーダヘンルーダの「クランを逃げ出して」「偽りの人生を生きてきたが」「破滅するしかなかった」「愛することしかできなかった」という人生は。実はLILIUMのファルスの運命を暗示するのだが、ヘンルーダは最初に会ったときソフィに「気づく」のだが、ソフィがヘンルーダがヤンであることに気づくのが最後の最後という脚本ゆえにそういう芝居になっていない。これはもったいないがそういう「登場人物のベクトルが交差する」ことを避けるような構造の物語なので仕方ないのだろう。繰り返すがもったいないキャラクター。
・エリカ 必要ないキャラクターだなぁという印象。アナベルが「これからは他人になりましょう」と言って家から追い出したはずなのに、頭から家にいるというのはどういうことなのか。ガーベラに対する態度も全体にあいまいで、後半、ガーベラに愛情を示すのだが、あんたさっきガーベラに噛まれませんでした?と思ってしまった。殺されそうになった相手を「赦す」芝居がないのに、いきさつを抜きにして「愛して」いるのは相当におかしい。アナベルの「家族の肖像」を掘り下げるなら必要な人物だったかもしれないが、脚本はそういう事に興味を持っていなさそうなので、結局、機能しないキャラクターになっているように感じた。
・ベンジャミン 宮川浩さんを見れるのはうれしかったが、キャラクター的にはソフィと目的が被っているうえに、それ故に、ダンピールに子供を殺されて恨みを持つという方向に行動が変わり、ソフィの方は目的を変えてしまうので当初の目的が浮いたまま、しかも血盟警察から派遣された公安なのに、冒頭で審問官が知っていて、かつヘンルーダも知っているソフィの正体はなぜか知らないと言う、扱いに困るキャラクターになっていた。目的がかち合っているだけでも何か「ベクトルの交錯」があってもよさそうなのに、噛まれる直前にソフィたちを(おまけに)ヴァンプと認識するだけという、だったら目的が同じということにした脚本上の理由は何だったんだと思わざるを得ない登場人物だった。
アナベル 自分に接触を図ったソフィとウルが「偽名」であることは作者なんだからわかりそうなものなのだが、特に疑うそぶりもない。ペンネームがダリ・デリコなのはアナベルが末満健一の投影であることを示唆するのだと思うのだが、アナベルが扱っていた「繭期少年少女失踪事件」がリアルタイムに起きている事件のことなのか、グランギニョルの劇中の事件なのかあいまいなため、目の前に「ソフィ」と名乗る少年が現れたにしては反応が薄すぎる。ソフィが斬られても不死であるのを見て「探していたTRUMP」であるというのだが、末満健一であれば、ソフィには噛むことで相手を不老不死にする能力は備わっていないことは知っているので、不死身であることから目の前の少年が「本物のソフィ・アンダーソン」であることを確信したとしてもそれは同時に「彼はガーベラを救えない」こともわかってしまうわけで、アナベルが感じるのは「失望」であると思うのだがそうはなっていない。そうなっていないと、ソフィと血盟警察がほぼ同時に「危険」と感じたのアナベルの小説の事実の精度」も疑わしくなってしまうし、だったらソフィはそもそもアナベルに会いにも来ないので、物語の骨格がそこで折れている。アナベルがどこまで書いたのか、どこまで知っているのかは物語を動かす大きなポイントであるのに、ソフィが不死者であることを知った時のアナベルは、ほとんど彼にまつわる事情を知らないとしか思えないような言動に終始しており、どうにもそのあたり、本当に支離滅裂感が凄い。

アナベルがガーベラを愛していたのかどうかという問題。アナベルヘンルーダの子だからヘンルーダが吸血種でもよい、生まれてくる子供がダンピールでもよいと言うのだが、いざガーベラの正体が世間に露呈すると父親の名を伏せたままガーベラを一人で育てると言い出す。ガーベラの父親がヘンルーダであることがわかれば自動的にヘンルーダが吸血種であることが世間にもエリカにもばれてしまう=社会的に破滅してしまうからだということはわかるし、それはアナベルヘンルーダを愛しているし守りたいからだということもわかるのだが、そのために彼女のしたことはガーベラを「おかしくしてしまう」ことでしかないように芝居の上では見えた。意地の悪い見かたをすれば、ガーベラに世間の目を集めることでヘンルーダに注目が集まるのを避けているのだ。つまり、ガーベラはヘンルーダの秘密を守るためのダシにすぎないし、結果として、ガーベラが「どんなふうになろうが」それほど気に病んでいるような雰囲気がない。彼女の「本心」はソフィに縋るところで明らかになるのだが、上に書いた通り、実はガーベラの不死を願っていた、というのは物語の骨格を骨折させることにしかならず、そこまでの流れと矛盾してしまう。どうして単純に「実はアナベルが愛しているのはヘンルーダで、ガーベラじゃない」にしなかったのかなと思ってしまう。それはありきたりな「どんでんがえし」でそれを避けたいのはわかるのだが、そういう展開にするには無理がありすぎた。

そもそもアナベルが小説を発表するのが「ガーベラを不死にしてくれるTRUMPをさがす」ためなのか「向こうから来てもらう」ためなのかがよくわからない。アナベルは小説の内容が危険すぎたためにソフィと血盟警察を呼び寄せて、結果は破滅してしまうのだが、わざわざ呼んだのか?という疑問がどうしても頭に浮かぶ。わざわざ呼ぶにしても「SPECTER」のようにおどろどろしい儀式で救世主を召喚するというのと、小説を書いて向こうに興味を持ってもらうというのはかなり違うように思う。アナベルが作家と言うのはかなり無理がある設定だと思った。

他にもいろいろあるけどとりあえずこんな感じ。決してダメな舞台ではないけれど、整合性の取れなさは見ていてすごく気になったのでこういう愚痴ばっかになってしまいましたけど、いい舞台だったと思います。まる。