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行く先不明のパソコンblog

タイアップの罠

タイアップありきの楽曲リリースが邦楽の売り上げ低下を招いたシステムに付いて少し書く。


タイアップあり気の楽曲制作を最初に始めたのはビーイングだと言われている。彼らはライターに30秒で完結する多種多様なデモ曲を発注し、クライアントの要請に応じて「この広告ならこの曲」と言った風にプレゼンすることで「早い安いうまい」放送用音源を制作販売するシステムを創り上げた。写真のストックフォトに発想は近い。音楽の場合ライブラリ楽曲というシステムが本来あったのでけど、ビーイングはライブラリではなく書き下ろしを大量にストック出来ているという点に強みがあった。

書下ろしでしかもCMに最適化した楽曲をリリースしたビーイングはヒット曲を連発し、CMもTV主題曲(とくにテレ朝系アニソン)は一時期ほぼビーイングの独壇場となっていた。そこに斬り込むのがAVEXである。有名なAVEXの楽曲制作方法は別項に譲るとして、ビーイングAVEXが確立したタイアップをとって楽曲を強力に販売するという手法が1990年代後半を席巻した。

しかし1999年をピークにCDの売りあげは急降下していく。


原因は「タイアップ」にあったと、自分は思う。タイアップはまず最初に指向する購買層が設定され、それに最適化された楽曲が提供される。楽曲の都合を優先してタイアップ先が譲るということはまずありえない。ぜロ年代に入ってマスメディアから求心力が急激に失われていったことはよく知られるところであるが、これは日本人全体の生活習慣の変化に起因するものでメディア側が変化したために訴求力を失ったというわけではない。たとえば、移動時間の長時間化(往復で平均4時間くらいはザラ)、ケータイの進歩と普及でテレビよりケータイに割く時間が飛躍的に増加したこと、ゲームが大衆化した結果小刻みに視聴時間を削ったこと、そして比重としてはあまり大きくはないがネットの普及等が挙げられるだろう。このうち、ネットの普及がTVの求心力低下に直接寄与しないと考えられる理由は、ネットしながらテレビは普通に見れるからだ。みんな実況してるし。

TVだって商売でやっているのだ。日本人の生活習慣の変化で視聴者が減って行ってることくらいはわかってる。電通だってリサーチしていないわけじゃない。そんなことはわかってるんだ。だからゼロ年代のTVは「まだテレビを必要としてくれている人」に向けて内容を先鋭化(負の先鋭化)していく運命にあった。普段テレビに見向きもしない人がたまにテレビを見て「くだらない」というが、そうじゃなくて「俺向きの番組をやっていない」と思うべきだ。テレビは言うだろう「だってあんたテレビ見ないじゃん。見ない奴向けの番組なんか作らないよ」と。多数の「テレビを見てくれる人」に向けて内容が先鋭化する一方で、少数の「テレビをたまに見る人」はふるい落とされる形でテレビの前から消えていった。


だがちょっと考えて欲しい。どうして日本人はテレビを見る時間を失ったんだろう。それは「働いている」からだ。だから移動時間(通勤時間)が発生する。一方、通勤時間が発生しない人というのはどうなんだろう。それは「働いていない」か「通勤時間に見合っった賃金を得られる職業についていないから近所のしじみ加工職場にパートに行っている」水の中からこんにちは状態であることを示している。つまり、今時テレビを見ている被ちたちの収入というのは見ていない人たちよりも収入が低いことを子に事実はしめしている。なぜそうなったかというと、団塊世代が山の手線の内側を埋め尽くしてしまったからだ集団上京の頃に。だからゼロ年代の社会人はまず普通にテレビを見る時間を得ることなんかできない。

さて、テレビに残された視聴者はリタイアした団塊以上の世代、子供、主婦、失業者、パートや近所の工場に働きに行く低賃金労働者に集約されることがおぼろげながら分かってきた。そしてテレビ局も広告もこの限られた視聴者の奪い合いを演じている。我々の世代は最初から相手にされていない。「どうせテレビ見る時間なんかないでしょご同輩」ごもっとも。


だが問題があった。タイアップしか曲が出せなくなったJ-POP業界だ。タイアップ先のメディアはまだ広告主から金をもらって潤っているからいいとして、その広告主向けに作った楽曲は「金を持ってない層」にしか訴求しないような楽曲が積極的に選択されるので、はっきり言って「タイアップすればするほど売上を落とす」結果を招いた。CDを買う層がタイアップ曲を聞いて「くだらない曲」というのは正しくない。そもそもが広告のために作られた曲なんだから「ターゲット外楽曲」だと考えるべきだ。当然、た0ゲットにされていない我々の嗜好には合わないから我々は買わない。しかし、広告が対象とする、あるいはメディア経由でたまたまその楽曲を耳にする「先鋭化したメディア」の受信層がその楽曲がたまたま気にいったとして買うだろうか。答えは簡単で「カネがないから買わない」彼らはテレビを見る時間がある代わりに働いていないか低収入なんだから買えない。そこには音楽に興味のある層もある一定いると思うが、金がない以上買えないではないか。一方でタイアップがつかない楽曲=我々がターゲットになるような楽曲、は制作費を広告主が持ってくれないという理由でますます作られなくなり、結果としてHMVの棚には「最初から売れないと分かっているシングル」が山のように積まれ在庫を圧迫することとなった。


J-POPで元気なのはジャニーズとアニメとアイドルだけ(例外はPerfumeと言いたいところだが、Perfumeはシングル初動10万枚を売ったことすらない!)と言われる所以は、それらが「ターゲット」を「買ってくれる層」にはっきりと定めていること、そして「既存メディアとの親和力が高いにもかかわらずターゲットに購買意志(能力ではない)がある」この両輪がきちんと機能していることにあると考える。アニメはメディアがなければ見ることが出来ない商材だし、アニメファンは金がないからアニメを見ているわけではない。これはアイドルでも同じことだ。アイドルの場合「実体」(仮体に対する意味の)があるので、ライブという露出も取れるが、メディアに載せることもできるので利用できるなら利用したほうが効果的に決まっている。普段TVを見ない層でもPerfumeが出るなら録画してでも見るだろう。


したがって、J-POPが地盤沈下したのは「タイアップ頼り」の展開を止めなかった結果、タイアップ先の客がいつの間にか「CDを買わない層」に変質していたために、(レコ社にとって)本来の商品である楽曲そのものが「CDを買わない層向けの曲調のもの」に特化してしまったから、と見ることができると思う。



レコチョクのCM曲であるVOICEは着うた部門で惨憺たる成績だったのに、575は週間一位とか、相変わらず世の中おかしなことが起きていてオカシイ。「日産のお店でキャンペーンソング」がどこをどうすれば着うた層に訴求すると思ったのか、いっぺん頭かち割って見てみたい気がする>アミューズ

575を「会いたくて」系楽曲と見て一段低く評価する向きがあるが、電話というのはそもそも「会いたいけれど会えない人」とコミュニケートするためのツールだ。ベル研だってそのつもりで作ったわけで。電話のCM曲なんだからそういう歌詞(もっともystkは会話ではなくメールについて歌うわけだが)になっているわけで、あれを西野カナ加藤ミリヤと同一視するのはどうかと思う。ミツワ石鹸のCMソングぐらい歌詞に意味が無いと思って聞くといいと思う>所詮CMソングなんだから。