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不毛の音楽/アイドルblog

そもそも論

ターゲットを絞りすぎたのがJ-POP凋落の始まり。次に、絞ったターゲット以外の層は「相対的に」売れないと誤解したレコ社幹部がそれらの担当を全員(過剰な表現ではなく)首にして、売れてる音楽だけを担当している連中だけに資源を集中した。絞ったターゲットの購買力が極限まで低下した。ところが、この20年で絞ったターゲット以外に音楽を売ったことのある奴が現場ににいなくなっていた。若い奴を起用しても自分らが20年前に売った音楽くらいしか音楽体験を遡れる奴がおらず、その劣化再生産しかできない製作体制になっていた。客は片っ端からどんどん抜けていくが、「抜けた先にある今の音楽」がわかる奴が業界にまるでいない。で、どん底<今


なんでこういうこと書いたかというと、どうもポリリズム以降のPerfumeの音は外部ブレイン主導の曲(CMソング)が最も質が高く、次にystk主導曲(アルバム曲)、次いで徳間主導曲(ただしポリ以降)という順になっているような気がする。もっとも最初の徳間主導の曲がリニアモーターガールで、歌詞を見た西脇大臣が絶句したまま凍りついたという代物だったことを忘れてはならないw(本人いわく「Perfumeを本気でやめようかと思った」)


我々が比べてしまうのは過去のPerfumeで、過去の曲と比べて今回の曲は、と考える。未来に発表される予定の曲を事前に知ることができないからだ。一方、徳間スタッフは、年間計画があり、次に発表すべき曲の内容を理解した上で今作るべき曲の内容を評価、決定している。Perfumeの曲の真価がわかるのは次の曲が発表された後、というパターンが続いているのはそういった事情もあるように思う。しかし、だからと言って、あまり面白みのある曲がリリースされていないことを弁護する理由にはならない。なぜなら外部主導の曲ではystkは充分に面白い曲を書いて持ってくるからだ。


内部的なystkの評価はそんなに高くないような気がする。ystkは、コンシテ、エレワー、ディスコ、ポリを「売れなかった」プロデューサーであり、一方、徳間のPDはBcL、ラブワ、DF、ワンデコを次々にヒットさせている敏腕プロデューサーである、という評価をここ数枚のPerfumeのシングルからなんとなく感じる。外部のCMディレクターなり代理店担当者が「ystk凄い!今、日本で一番イイ曲を書ける男!」と評価しているほどには、徳間内部ではystkを評価しておらず「あの男に任せると売れない曲を書くからだめだ。Perfumeの人気からすれば、10代向け青春応援ソングやアゲハ系ラブソングを歌わせていれば、黙ってても売れる、売れるんだ。我々が歌詞の内容や曲の方向性をコントロールしないといけない」(可能であれば子飼いのゴーストライター陣に全部任せたい)くらいの気持ちでいるように感じる。


自分は「そんな考えだからソコソコしか売れないんだよ」と思うのだが。Pefumeの人気の根幹は、最近のシングルのA面曲にはないと感じる。どこまで行ってもポリリズムだしチョコだしシクシクだし、そしてアルバム曲だ。シングル曲はプロモの道具でありおまけ程度にしかなっていない。GAMEが50万枚売れるのに徳間主導のシングル群は初動で10万枚も出ないというのはそういう意味だろう。


なぜそうなってしまったか、というと、ここ20年のJ-POP業界の誤ったマーケ理論に基づく製作体制の崩壊と断末魔的人事配置にあるように思うのだが、それが冒頭のそもそも論を書くいたった理由であります。乱文失礼。


誤ったマ-ケ理論が20年前に忽然と生まれた理由というのはまた奇怪なもので、そもそもレコードを作ってた連中は「頭のいい」か「育ちがいい」かのいずれかで、いわゆる上流階級だった。そこにアンチテーゼとしてヤングジャパンレコードなどを筆頭にしたニューミュージック勢が「ある程度馬鹿にもわかる音楽」を売り始めた。ここまでが80年代中盤。その際にターゲットとしての北関東イズムというものは育ちのよいレコード製作者からすると未知の世界であってわからない世界だった。彼らがどのくらいの知的水準だったかというと、あのすぎやまこういち渡辺宙明クラスでも東大卒である。映画産業もこれは同じで普通コネがなければ「最低でも」東大卒でないと就職できない業界だった。左翼映画を撮っていた大会社の演出部の連中は助監督まで含めて全員東大卒の特権階級だった。「ほたるの墓」の高畑勲なんかも同じルート(東大仏文科)

で、そこに、KANや大事マンブラザースといった連中が「馬鹿が自分で自分の馬鹿さを褒めて現実逃避して安心する」内容の「馬鹿ソング」を大ヒットさせて事態が変わった。これらのレコードを買った連中はみんな「今までのレコードは難しくてよくわからない」「やっと自分たちの気持ちをあらわしたような曲が出てきた」というようなサイレントマジョリティだったからだ。これは「今の自分に問題があるから現実に壁に突き当たっているんであって」「にもかかわらず現実に負けている自分を無視して今のままの自分でいいんだなんて励ましてもそれはただの現実逃避」みたいな歌詞を量産してきた歌謡曲産業のど真ん中に風穴を開ける結果になった。これ、大人の作詞家は絶対についていけない世界だった。人生経験からその「自分大事な」考え方が間違っていることを知っている人たちだったから。だが、レコード業界の人間からすればこの「ばかの群れ」は未発見の鉱脈に見えた。なんといっても客の絶対数が違う。レコード会社はバカ向けのレコードを量産し、入れ替わるように「ついていけない」製作者と旧来の音楽ファンが市場から全部いなくなった。そしてその流れの中で20年という歳月が流れるわけである。