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行く先不明のパソコンblog

年表の空白

Perfume年表を見ているとおかしな空白がある。まず。Perfume結成年。2000年とする資料が多い。一方でASH設立は1999年とする資料がある。この間に1年空白があるのかどうか。

河島佑香Perfumeを脱退した時系列はおそらく2001年3月末と思われる。あるいはもっと早く脱退しているのか。また、河島の移籍先であるWBSの設立年度がわからない。WBS設立に伴って河島が移籍した「らしい」のだが、他の二人に声がかからなかったのか。かかったがあえてASHに残ったのか。

大本綾乃がPerfumeに参加するのが2001年夏とする資料がある。しかしclubTKにPerfumeが出演したのが2001年8月末。大本が参加したのはもう少し前ではないだろうかという疑問がある。また、clubTKの演目は「Trouble」だが、大本によればPerfume参加後、最初に渡された曲はSJSであり、大本はオリジナルを知らずに歌っていた(西脇や樫野は知っていた)ことがわかっている。大本加入の正確な月日はいつなのだろうか。

その年度末にはomajinaiのレコーディングに入っているが、2002年夏の段階でAmuseの柴矢育成担当から「この曲をやってみない?」とジェニーを持ち込まれている。かなり早い時点でパッパラー路線が否定されているわけだが、転換を図った理由、そしてそれがなぜテクノで、そしてなぜPerfumeだったのか。

この空白が埋まると何がわかるか。それはまたわかってからのお楽しみ。


追記(2010.10.16)

1999年度は西脇彩香はまつさやとデュオユニットを結成、樫野有香は別ユニット、大本綾乃と河島佑香はこの時点でデュオユニットを編成していた。続けて西脇綾香は自身のユニットをSPEEDライクなダンスボーカルユニットにチェンジさせるべくメンバー増員を決定、樫野と川島がここで合流するが、そこまで西脇の「相方」と目されていたまつさやがここで脱退(理由は不明だが樫野に対するライバル意識か?)、結果として4人編成となるはずだっだ新ユニットは3人編成となりその名も「Y.A.Y」(yuka ayaka yukaの意味)として活動を開始する。このユニットがのちの「ぱふゅ~む」の原型となるユニットであった。「ずっとPerfuemに入りたいと思っていた」と公言してやまない大本からすれば、その時点でどうして自分ではなく河島がスカウトされたのかというところに引っかかる部分があったに違いない。つまり河島の後任に(樫野に相談すらなく)大本が呼ばれたことには実は最初にメンバーをチョイスした時点での「大本か河島か」という点に伏線があったのだ。ちなみに、樫野は大本とは全く面識がなかったが、西脇は河島を通じて面識があった。西脇は河島のセカンドチョイスとして大本を認識しており、河島脱退後当然のように一本釣りで声をかけた。大本からすれば「(河島が抜けた以上)巡ってくるに違いない」チャンスだった。

1999年には「ぱふゅ~む」は存在しておらす、結成を2000年とするのには根拠があることが分かってきた。ところでまつさやのフルネームって、ナニ?